昭和の残像(影響の記憶) No.006

子供の頃の記憶とは曖昧にして都合のいいものだったりする。
僕は台東区上野に生まれ育ち、池之端と移り住み、
僕が小学校一年のとき、祖父が亡くなり、文京区湯島へと移り祖母と同居を始めた。
今はもう越してしまったが、荒川区日暮里に叔母(父の姉)が暮らしており、
祖母とよく叔母の家を訪ねたことを憶えている。
ある年の夏休みには、祖母と数日間叔母の家に泊まりに行くこともあった。
叔母の家から、歩いて数分ところに「谷中銀座」なる商店街があり、もっぱら
買い物はそこでする叔母によくついていったものだった。
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本屋に行っては漫画本をねだり、おもちゃ屋の前で動こうとしなかったことも多々あった。
家で祖母との話しに飽きて退屈しては、商店街に入り浸っていた。
ある日の夕食の食卓を囲んだときのこと、僕は酷く違和感を感じていた。
それは自分の家でないことや、食卓を囲んでいる人々が異なっていることだけではない
何かに違和感を感じていた。そのとき子供だった僕が思わず口走ってしまった
一言は「叔母ちゃんの作ったご飯、お母さんと違う」
叔母は「ごめんね。お母さんみたく上手に作れなくて。」
微笑みながら言ったことを記憶している。
今考えれば、どれだけ失礼なクソガキだったことだろう。

そして同時にそれが、自分の母親の作る家庭の味、お袋の味というものを
幼いながらに始めて実感した瞬間でもあったに違いない。

そのとき食卓を囲みながら流れていたのが「24時間テレビ」の
第1回目の放送だったから、1978年の夏の出来事である。

そう30年前、クソガキだった僕が叔母に悪態をついていたころ
この名作も誕生していた。
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DIG MY STYLE / 秋山一将(1978年発表)

text by TASCA-T

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by tascatasca | 2008-10-16 15:53 | 昭和の残像